Exhibition展示案内
展示のスケジュール
千 僕の知らない鎌倉Kamakura Revisited 5
2026.08.19Wed - 08.29Sat
栗田 尚
「千」という文字は、人が触れ得る最大を示しながら、それでもなお尽きぬことを願う思いのかたちでもあります。
鎌倉は、歴史や記憶、信仰や暮らしの痕跡が幾重にも重なり、千回も上書きされてきた土地です。私は、瞬間に差し込む光、失われたものが残した痕跡、名を持つ前の静かな影をひとつずつ見つめながら、大きな物語の背後に沈んだ、言葉にならない気配を写そうとしています。その本質は、無数の細部のなかに沈黙として宿っているのだと思います。
7 3 7九 嶺 の 憧 憬
2026.09.03Thu - 09.05Sat
K O S E I
「 7 3 7 」
九嶺の人は皆その意味を知っている
九嶺市の郵便番号
市のシンボルたる独立峰 灰ヶ峰の標高
幾度となく思い起こした3桁の数字
九嶺に生まれ、九嶺で育って生きてきた
漫然と日々を過ごした小中高
やりたいことは特になく気晴らしに散歩に耽る毎日
豪雨災害の復旧を待った大学時代
コロナで何もかもが「わや」になった就職活動
世の波に揉まれ挫折した社会人生活
夢を追い上京を決意したあの日
いつもそこには当たり前の九嶺の街があった
そして現在
離れたからこそ今なら分かる
故郷があるという意味
当たり前だけど当たり前ではない事
あの頃、漫然な目で見ていた故郷を今度はしっかりと見よう
僕は今年も九嶺に帰る
暗 闇 で 手 を 伸 ば すトナカイ (松本 慎一)
2026.09.16Wed - 09.24Thu
松本 慎一
カラーネガフィルムを暗室で手焼きするとき、作業は全暗で行われる。手探りで遮光袋から印画紙を取り出し、引き伸ばし機のうえに置き、ほんの数秒、ネガを通過した光を焼き付け、ふたたび手探りで印画紙を掴み、現像液に浸し、1分後、定着液に移す。明かりをつけ、印画紙をひっくり返すと、ようやく像が現れる。それは記憶を呼び出す儀式のようだ。私は過去のネガフィルムに光をかざし、埋もれていた記憶を焼き付けはじめた。暗闇で手を伸ばすように。
"Reaching into the Dark"
When hand-printing color negative film in the darkroom, the work is done in complete darkness. You feel your way into the lightproof bag, draw out a sheet of paper, and place it beneath the enlarger. For just a few seconds, light passes through the negative and burns into the paper. Then, by touch again, you lift the paper, slip it into the developer, and after a minute, move it to the fixer. You switch on the light, turn the paper over, and finally — an image appears.
It feels like a ritual for summoning memory. I began holding my old negatives up to the light again, burning the buried memories back in. Reaching into the dark.
ワンワンランド- 犬と共に -
2026.10.14Wed - 10.22Thu
周 俊智
私は、犬たちに守られて育った子どもだった。
幼い頃、祖父が飼っていた「花花」という小さな土犬がいた。彼女はとても賢く、私が1歳になるまでは、いつも私のそばにいて危険から守ってくれていた。でもある日、彼女は姿を消してしまった。
その後、祖父はもう一匹の小さな土犬「発仔」を迎えた。私は彼と一緒に遊ぶのが大好きだったけれど、彼は私の幼稚さを嫌がり、なかなか相手をしてくれなかった。それでも発仔は、私が10歳になるまで一緒にいてくれた。
10歳の夏、夏令营から帰ると、彼はいなかった。熟した鶏肉を食べて骨が腸を傷つけ、臓器不全で亡くなった。その瞬間、私は初めて「自分の家族がいなくなった」ことを、はっきりと理解した。
それ以来、私は道を歩く犬と人の姿を撮るのが好きになった。レンズ越しに、昔の花花や発仔、そして幼い私を見ているような気がするから。
今回展示する写真の一枚は、2024年4月に撮影した、花農の飯田さんとラブラドールのエースだ。再び訪れた2025年6月、エースはもういなかった。春の桜が咲く頃、静かにこの世界を去っていた。
そのことを知った私は、深い悲しみに沈んだ。この「ワンと共に」を続けていいのだろうかと、何度も自問した。幸せだった瞬間の写真が、かえって人々の心に痛みを呼び起こしてしまうのではないかと、怖くなった。
しかし、しばらくの迷いのあと、私は再びカメラを手に取ることを選んだ。
この写真を残したいから。
飼い主だけではなく、多くの人にも知ってほしいから。
いつかここに、幸せな犬と人が確かにいて、犬の鳴きまねをする不思議な人間が、そっとシャッターを切ったということを。



