Exhibition展示案内
過去の展示
ア ロ エ と 窓 辺
2025.11.05Wed - 11.13Thu
藤林 彩名
20代前半の頃、初めて東南アジア諸国を旅した。
それまで日本国内でさえほとんど一人旅をしたことがなかった私にとって、それは大きな出来事だった。見知らぬ土地の色鮮やかな光景や、騒がしい音、独特の匂い、すべてが新鮮で心が揺さぶられる日々だった。きっと、あの頃ほど強く世界を感じることはもうないのかもしれない。
旅の楽しさを知ってからは、日本各地をできるだけ多く訪れようと決めた。それからというもの、少しでも多くの光景に出会いたくて、ただただひたすら歩き回った。海や山などの自然、その土地の名所と呼ばれる場所にもとりあえず足を運んできた。それでも結局、最後には人々の暮らす家々が集まるところに引き寄せられる。
東京で忙しない日々を過ごす私とは対照的に、見慣れない家並みや路地の風景にはたしかな温かさがあった。そこは私にとって、いつも新鮮で見慣れない光景の連続だった。
今日もそのささやかな温度が心地よい。あの日からずっと、旅はかたちを変えながら続いている。
朝 ぼ ら け の 日 々
2025.10.15Wed - 10.23Thu
笠井 宏
2019年12月、中国武漢であの忌わしいコロナが発生して、外出もままならぬようになりました。
写真撮影にも影響が及び、あたりまえに出歩くことさえが困難な状況になりました。
それまで5年間お台場に通い日々撮影をしていた「今朝のお台場から」も断念せざるを得なくなり、
何としても撮影がしたいその一念で、あれこれ模索した結果、自宅高層マンション23階、猫の額ほどのベランダから夜明けの都心の景色を撮り始める生活が日々の日課として始まりました。そして今年で5年目となります。
それ以来、皆様のアドバイスや温かいご支援をいただきながら、15万枚ほど撮影し続けております。
自称ベランダのディレッタント(好事家)でございますので、この機会にぜひ集大成の一部をご高覧覧頂ければ幸甚に存じます。
TOKYO, Multi Layered City -Spinout-Dear neighbors,
2025.10.01Wed - 10.09Thu
小城 崇史
「東京を撮りたい」その思いだけで川のほとりに住むようになって、早2年の歳月が流れた。「水の低きに就く如し」と言い表したのは孟子(*1)だが、徳川幕府の入府以降町人の町として栄えるこの地域には、人々の心に安らぎを与える何かがあり、その真ん中に位置する川の存在が大きい。そして、その安らぎを享受しているのは人間だけではないことに気付かされたのは、実は割と最近のことだ。聞けば鳥類の生息地として劇的な変化を見せているのは、あの大震災(*2)以降だという。一方で、川沿いのテラスに目を向けるとあらゆる生き物がその存在を脅かされることなく過ごす様子が当たり前の光景として展開されており、江戸時代に公布された生類憐れみの令(*3)が今も生きているように感じられる。どうやら、水の低きに吸い寄せられるのは人間だけではないようだ。そこで川のほとりにやってくる隣人達=鳥類の姿を、彼ら彼女らの生活域を侵さないようそっと観察することにした。
これも、東京に生きる隣人達の一片であることが伝わればうれしい。
(*1)中国の思想家。ものごとが自然な成り行きで進むこと、人間には自然の流れは止められないことを意味することば
(*2)東日本大震災(2011)以降、ウミネコの営巣・繁殖が増加しているため、江東区・墨田区等隅田川流域沿いの自治体では防除対策を広報している。高層マンションの屋上などに営巣するケースも多く、その受け止め方も様々だ
(*3)江戸幕府五代将軍・徳川綱吉が発布した動物愛護を目的とした法令の総称。犬・猫・鳥・魚・牛・馬その他多くの生き物を対象としたとされる
ま な ざ し- 君 と 過 ご し た 日 々 -
2025.09.17Wed - 09.25Thu
PENTAX67展メンバー
私たちは、PENTAX67という中判フィルムカメラで、
目の前の風景と向き合ってきました。フィルム1本で10枚しか撮れず、現像するまで仕上がりも分からない。コストも時間もかかる、不便さを含んだカメラです。
それでも、物質として残るフィルムの確かさ、そして中判ならではの奥行きある写りに惹かれ、私たちは今もフィルムで撮り続けています。
限られた枚数の中で、どんな写真を残すか。
そのことを自然と意識するようになりました。撮った写真は、忘れられることなく記憶に刻まれます。
今回集まった4人は、日常的にPENTAX67で撮影している仲間です。
時間の流れ、関係の輪郭、愛おしい存在のぬくもりまでも、どうしても残したいと思った一瞬を、大切にフィルムへ残してきました。
4人のまなざしが写し撮った、ささやかな時間を感じていただけたら嬉しいです。
鉄道のカタチ Part2 エロい? 鉄道
2025.09.03Wed - 09.11Thu
鈴木 啓公
2024年、私は鉄道の車両や構築物を撮影した「鉄道のカタチ」という写真展を発表しました。
これら「鉄道のカタチ」のなかには、未発表作を含め、
どことなくエロスを感じる作品がありました。
こんどはそれを感じる作品を集めて、無機物だけでエロチシズムを表現しようと思い立ちました。
車両や構築物は、無機物のはずなのに、ときに動物的な顔つきや、淫靡な雰囲気をみせたりします。
曲線と直線の組合せが悪戯をしているのか?光と影、空間のなせる技なのか?
理由はさまざまですが、鉄道のカタチにはやはりエロスが潜んでいると私には思えるのです。
妄想がふくらみ過ぎる人がいるかもしれません。どこがエロティックなのかわからない人がいるかもしれません。
感じ方は、人それぞれでいいと思います。ぜひ、自由に、ご自身の感覚でお楽しみください。
※展示作品に性的な描写を含んだものはありません。
正 僕の知らない鎌倉
2025.08.20Wed - 08.30Sat
栗田 尚
鎌倉の風景には、
数えきれない人々の記憶とまだ語られていない未来が重なっています。
言葉にならない詩と名もなき風景が、そっと佇んでいます。
私はその気配に惹かれて立ち止まり、レンズを向ける。
これは、
知らなかった鎌倉に向き合う、
私なりの「正しさ」の記録です。
P L A Y L I S T Vol.1
2025.07.23Wed - 07.31Thu
ようこそ、P L A Y L I S T へ
本展は、日本を拠点に活動する新進気鋭の写真家たちによる、独自の視点が集まったグループ写真展です。
まるでその時々の気分や思い出のために作られたプレイリストのように、ここに展示された作品はそれぞれが異なる表現を持ちながらも思いがけない形で調和しています。
P L A Y L I S Tでは、フランチェスコ・リバッスィ、きりまれ、金本 凜太朗、江守 勇人(151画)、根本 佳代子、Hiroshi Yoshidaの作品が紹介されています。
ドキュメンタリーの断片、詩的な静けさ、生の瞬間、そして静かな観察を通して、これらの作品は一つのリズムを生み出します。
視点やスタイル、感情が変化しながらも共通する好奇心と新しい創造の力で結びついています。
株式会社 アフロとのコラボレーションにより、CO-CO PHOTO SALONにて開催されるこの展覧会は、見る者にそれぞれのリズムを見つけ、感じる瞬間を提供することを目指しています。
展示されているすべての作品は、アフロギャラリーのウェブサイトでファインアートプリントとして購入可能です。詳細はこちらをご覧ください。
https://gallery.afloimages.com
「祈りと願い 未来へ。8月6日の広島平和公園」
2025.07.09Wed - 07.17Thu
近重 幸哉
「毎年、今年が最後になるかも知れないと思って来ています」という20年前に聞いた当時88歳だった
被爆者のおばあさんの言葉が心に残っています。広島の8月6日の平和記念公園は、日差しが照りつけ風
もほとんど吹きません。5万人を割り、平均年齢が86歳を超えた原爆を体験した方たちには、辛いだけで
なく過酷なお参りになるのです。
今年、広島は被爆から80回目の原爆の日を迎えます。私が8月6日の平和記念公園を毎年撮影し始めたの
が2000年でしたので、昨年で25年になりました。この間に、まだ多かった被爆体験者や被爆者のご遺族
の方たちの多くが、8月6日の平和記念公園へ来れなくなっています。来るのは私たち被爆2世、被爆者の
孫以降の世代に移っているのです。そのことはとても大切だと、写真を撮影してきて思いました。広島
には、原爆で亡くなった方たちに安らかに眠ってほしいという祈りと、2度と戦争を起こしてはいけな
いという平和への願いがあります。その「祈りと願い」を未来に伝えていかなければならないのです。
私が10代の頃、原爆の日にテレビを見ていた母が「ほっといて欲しいんよねぇ」と、小さな声で呟い
たのを耳にして驚いたことがありました。母は毎年、原爆の日に平和記念公園に手を合わせに行ってい
ました。中学1年だった弟が原爆で行方不明になったままだけに、言葉にしたくない辛い思いもあった
と思います。先日お話を伺った母の弟の1学年先輩の93歳の被爆者の方も3年前まで「何も話したくな
い」と思っていたそうです。その方はロシアのウクライナ侵攻が起こって以降に証言者となり被爆体験
を人々に伝えています。
同様に50年以上も何も話したがらなかった母は、70歳を迎えた頃から自身の余命を感じたのか、原爆に
ついて後世に伝えなければならないという気持ちになっていったと思います。それで、弟の旧制一中の制
服を原爆資料館に寄贈したりもしていました。21世紀も四半世紀が経った今日でも、この地球上では愚
かな殺戮が繰り返されています。焼け野原の広島を弟を探して歩き回った母が何度も言っていた「母さ
んは地獄を見たよ。戦争は絶対にいけんよ」という戦争を体験した人たちの思いを、次世代に引き継い
でいくことは、ほんとうに大切だと思うのです。
山 の む こ う
2025.06.18Wed - 06.26Thu
佐藤 啓太
太古の人々が見た景色を、現代の我々も見ることは出来るのか。
時間を越える景色を求めた写真家たちは、海の水平線という原始的な直線や、
人の営みとは関係なく循環する森、そのような景色を撮影するに至った。
古代から神仏の感得を求めて山を歩いた人々は山中に何を見たのだろう?
山は恵みの地であると同時に神霊の住処であり魑魅魍魎が彷徨う他界であった。
中世に成立した修験道では山を曼荼羅そのものとし、行法の成就には大自然と自己が二つで一つになる感覚を得ることが重要とされた。
山のものでありながら山のむこうを幻視させるもの。
ありふれた、何気ない景色の中に大きな力や崇高さを伴う顕れを見出すこと。
登山を続ける中で私は、遥か昔の人々が神仏を感得するに至った景色とはそういうものではないかと考えるようになった。
山のむこう、景色に潜む崇高さとの邂逅を繰り返すことが、大自然と自己が二つで一つとなるための道であり、山中において神仏の感得を求めた人々と同じものを見る事にも繋がってゆくのではないか?
そう考えて私は山を登り続けている。









